3.敵国に分析された零戦の弱点
- 三菱重工に勤務していた零戦の設計者である堀越二郎氏のコメントを以下に紹介します。
- 本コラムのF28で紹介した零戦の企画書、つまりの「十二試艦上戦闘機(零戦)計画要求書」を海軍航空本部から受け取った堀越氏は次のように感想を述べています。
① 零式艦上戦闘機の計画要求書は、当時の航空界の常識を遥かに越えた要求性能であった。
② この要求のうちどれか一つでもなくなれば、ずっと設計しやすくなるだろう。
(このままの要求性能では、設計できないという意味) - そして、堀越氏のとった策は、「設計思想とその優先順位」、とりわけ、優先順位を設定したのです。その優先第一位は、「軽量化」です。軽量化によって全ての相反する要求仕様に応えたのです。
図表29-2を見てみましょう。 - 代表的な例が、当時は世界の常識であったパイロットを背後の銃弾から保護するための厚さ10ミリに鉄板(防弾板)を排除し、さらにパイロットのシートにまで多くの軽量化のための「穴」をボコボコと設けたのです。
【図表29-2 徹底した零戦の軽量化(國井技術士設計事務所作成)】 - 第二次世界大戦中の1942年7月、アリューシャン列島のアクタン島に、不時着した無傷の零戦は、そのままアメリカ軍に回収され、アメリカ本土へと搬送されました。
その直後、アメリカ軍テストパイロットによってテスト飛行が行われ、技術的にも設計的にも分析されました。その結果、零戦の「設計思想とその優先順位」から、零戦に対抗する撤退戦術を研究することができたと言われています。 - かつては、空中で零戦を発見したアメリカパイロットは「ゼロファイターだ!」と叫び、逃げ帰ったと言われていますが、前述の分析後、新たな戦法とそれを実現させる新鋭戦闘機によって、零戦は木の葉のように撃ち落されていきました。アメリカ軍とその技術者達は、「競合機分析」のセオリー通りを実行したのです。